2010年2月:【満20歳の誕生日】
この2月で『建築工房わたなべ』は設立から20年となります。そこで今回のひげ日記では、建築工房わたなべの誕生についてお話をさせていただきます。
1983年、私は大学を卒業し、地元富士市の建築設計事務所に入社しました。ここで設計の基礎を教えていただき、幼稚園や小学校、マンション、住宅など数多くの設計に携わりました。当時はまだ、パソコンなどはなく、図面は全て手書きでした。入社して数年が経過し、現場の監理もするようになると、現場の事をもっと知りたいという思いが強くなり、地元工務店に現場監督として転職しました。その後、設計や業者選定も全て任せるので来て欲しいと別の会社から声をかけていただき、現場監督として再度転職しました。それでも営業主導の家づくりで制約が多く、もっと自分が心から良いと思う家をつくりたいと思っていました。設計事務所での家づくり、工務店での家づくり、その両方を経験してわかった事は、工務店の家は安いけど、きちっと仕事をするのには図面が少なすぎるし、デザイン力も…。もし設計事務所が施工も出来れば、本当に必要な図面のみ詳細に書けばよくなるので、図面枚数が減りコストダウンができる。つまり設計事務所と工務店の良いところを合わせ持った会社があれば、安くてよい家がつくれると考えるようになりました。ひと言でいえば、『設計工務店』という感じです。高性能な家、デザインだけでなく細部まで拘りを持った家の設計ができ、それをきちんと施工できる技術者集団の会社。そうした会社を作りたいと考えて独立を決意したのです。
そうして、1990年(平成2年)2月15日、私の29歳の誕生日に『株式会社建築工房わたなべ』を設立しました。株式会社といっても他に社員がいるわけではなく、私一人。昼は現場、夕方事務所に戻り、夜図面を書き、見積もりや契約書、確認申請書類の作成なども全て一人で行っていました。そんな状態でしたので、本当に寝る間も無く、疲れると事務所の机に枕を置き、いすに座ったまま、そこに顔を置いて寝ていました。家には食事と入浴、着替えに帰るだけというような生活をしていました。当時の事務所は、建設現場で仮設事務所として使われている10坪(20畳)のプレハブ、それもリ-スでした。雨の強い日には雨音で電話の声も聞き取りにくく、床は専門書やカタログの重さで傾いていました。そのうち社員が増えるにつれ増設を重ねたプレハブ事務所も手狭になりました。そうして、平成7年の4月にようやく現在の事務所の落成となったのです。
振り返れば、嫌なことや辛いこともあったと思いますが、記憶に残っているのは、とても楽しい事ばかりのあっと言う間の20年間でした。こうして大好きな家創りの仕事を続けてこられましたのも、弊社のお客様を始め、協力業者の皆様、そして社員の頑張りのお陰と、心より感謝しております。技術屋の私が始めた会社です。営業マンから会社を興した社長達のように、会社を大きくしたいという考えや、その能力もありません。技術屋は技術屋らしく、一歩一歩確実に仕事をして行く事しかできません。
私は、大きな会社を目指すのではなく、強い会社を目指したいと思います。これからも更に勉強し努力を続けて、私が目指す『地震に強く住む人と地球にやさしい家』快適で省エネのできるエコ・ハウスを進化させて行きます。皆様どうぞ今後とも『建築工房わたなべ』を宜しくお願いいたします。
㈱建築工房わたなべ 代表取締役 渡邉泰敏