渡辺左官工業

■渡辺左官工業:【渡辺 好章】

お世話になっております。左官の渡辺好章(よしのり)です。
  小学校低学年で終戦を迎え、戦後の貧しい時代を体験しました。親が左官で、夏休みには手元として手伝い、この仕事に人生をかけようと思い、28歳で独立しました。 昭和50年頃は、住み込み職人を含め、16人の従業員と共に仕事も多く、色々の仕事を選べる良き時代でした。 「左官」の由来は、昔左官は土蔵造りや武家屋敷等の図面を一括して責任を持たされ、完成させたのだそうです。そこで大名が左官という名前を付けました。それが今のゼネコンの始まりといわれています。
 この道に入って、左官組合員として44年・・・気が付けば半世紀を過ぎ、多くの良き人建と出逢い、色々な方々に大変お世話になり、感謝しております。お蔭様で、「技能検定」「競技大会」「技能五輪」の審査員として業界のためにお役に立たせていただいております。 又、朝霧富士教育訓練センタ-の講師、市のマイスタ-として自分の持ち味を活かし、㈱建築工房わたなべの下職として自覚し、恥じぬよう力いっぱい努力をするつもりでおります。 生涯現役として、初心を忘れず頑張りますので、今後共ご指導、ご鞭撻を宜しくお願い致します。 皆様方のご健康とご繁栄を、心よりお祈りいたします。

心ほっこり編集室コメント
渡辺左官工業の渡辺さん・・・こんな呼び方は初めてですね。いつも「左官のお父さん」と私は呼ばせていただいております。そう、社長のお父さんです。
私から見た左官のお父さんは、自分のことは二の次で、いっつも人のために働いている方ですね。建築工房の1階が渡辺左官工業の事務所になっているのですが、夕方等必ず誰かがみえてて、とてもにぎやかです。
「生涯現役」素晴らしい言葉ですね。私も生涯現役と言える様に頑張りたいです。
左官のお父さん、いつも会社に色々・・・ご馳走様です。左官のお父さんとお母さんがいてくださったので、小川!ここまでやってこれたように思います。